これは11月2日に広域交流センターでの研修会が終わったあと、木高研の駐車場から風の松原に入ろうとした時の様子。私が松林を歩き始めた頃だから、今から10年ほど前のことだ。その頃は
この木高研入口北側の駐車場から北を見ると、人が出入りしている場所がすぐにわかった。この写真の右手奥、駐車場の左手奥から防火線1号に斜めに降りてゆくようになっていた。ところが今回はそんな場所は全く見えない。見えるのはみんなヤブである。
ほとんど人が歩かなくなった通路があった。これは防火線1号の始まりの部分だ。
湿地帯があった場所は下の写真の中
この小径を、左の小径に入らないようにしながら、木高研の外側を回るように南の方角に進む。ここが木高研と風の松原の境界線。木高研が国有林を分譲したものか、それとも河戸川財産区の土地を分譲したものかは私はわからない。広域交流センターの場所はどうだったのだろうか?
港湾道路の反対側にはまだ道路が続いていたから、港湾道路が出来る前からここには港湾道路と交差する道路があったのだろう。この道路は防火線3号の端だったのかもしれない。
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