昨日「菊宏の建物解体始まる」というブログを書いた。今日もまだ外側にフェンスを巡らしたりすることはしていないので、解体ではなく内部改装なのかもしれないが、昨日 <ここから脱線> という記事に書いた 若林電気 と さくら堂 に行って様子を訊いた。
若林電気
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若林電気のお話では、ご兄弟が金平電気から独立して「若林電気」を始めたのは現在地でもなく、柳町でもなく、鍛冶町の大原旅館の隣だったそうだ。鍛冶町から現在地に移ったのがいつかは聞き漏らした。
そうか、それでわかった。映画館街のすぐ近くに住んでいた私は、中学時代、学校からの帰りに立ち寄り易かったのだ。その後、その斜め向かいには、武田電気という電気屋さんも開店した。
鍛冶町では「あわじカメラ」が開店したのも私が中学生になってからだ。淡路カメラには毎日のように立ち寄った。キャノンでは一般向けのキャノネットというカメラが発売され、ボーナスでキャノネットを買った担任の先生は得意になっていた。アサペン(アサヒペンタックス)など一眼レフも出始めていた。友人の中にはアサペンに熱中し、高卒後に写真専門学校(桑沢デザイン研究所)に入り、秋山庄太郎のところで働いたという噂が出た同級生もいた。秋山庄太郎はヌードモデル撮影で有名だったので、うらやましく感じたものだった。

さくら堂
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さくら堂の主人は小中学校の同級生。彼に会って質問したところ、柳町の岡本宅でカメラ店を始めたのはさくら堂だった。彼はお兄さんの店(フサオカメラ)で働いていた。フサオカメラは畠町から柳町に下る坂の中腹南側にあった。フサオカメラの支店を作る話が出て、結局柳町で、フサオカメラと対極の場所、大越薬局の隣り、水木金物店や柳谷米店の向かいに開店した。店名はフサオカメラの支店ではなく、さくら堂とした。
その後、ジャスコの開店に伴い現在地に移動した。上の写真左側の店。ここが中村さんのラーメン店だったことはさくら堂の主人も知っていた。昨年秋から写真にある白い建物に引っ越し。この場所は中学時代クラスメイトだった斎藤魚屋さんがあった場所だ。中を覗くと奥には広い写真スタジオで撮影中の人がいた。手前には個人写真撮影用と思われる小さなスタジオもあった。