「願はくは花の◯◯にて春死なむその如月の望月のころ」が突如我が家にやってきたのは、17日日曜日午前10時頃だった。
日経新聞の1面コラム「春秋」を読んだ千葉県在住の友人が気付いて「花のしたにて」ではなく、記憶から「花のもとにて」だと考え、私に電話を寄越した。私はそのことをすっかり忘れていたが、夜、風呂の中で思い出し、風呂を出てからインターネットで検索した。ヤフーで「ねがわくは花の」と語句を入れたら出て来たのが、「大岡信ことば館」の中のこの部分だった。

しかし、翌日岩波体系本や新体系本を調べた結果は「花のしたにて」が正しいといことが判った。それでは、最初に引用した


大岡信ことば館
この本で大岡信はなぜ「花のもとにて」を採用したのだろうか。

千葉の友人には「原典にあたれ」と言いながら、ネット検索で大岡まことが「花のもとにて」と書いているから大丈夫と信じたのは私の間違いだった。大岡信はなぜ異本にしか残されていない「花のもとにて」としたのだろうか? 新たな疑問が生じてきた。

「はなのもとにて」は内田康夫も推理小説の題名としていることを思い出し
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を出してみた。開く前にタイトルは「花の下にて」だ。ページをめくると
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「はなのしたにて」だった。
岩波新体系本に「山家心中集」が入っていた。
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心中集1
やはり「花の下(した)にて」だった。