私が学校に着いたのは9時過ぎ、既に自在の像にはしごがかけられていた。
最初にふんどしを着けた生徒達は卒業式の前夜、夜中に大町からリヤカーにはしごをつけて来たようだ。しかし今のような伸びるはしごはなかったと思うから苦労しただろう。
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これまでも何度か自在の像のふんどし姿を撮影したことがあるが、ふんどしを着けるのは能高祭第1日目の早朝が多かった。今は事故防止のため準備日の日中にやるのだろう。
 例年、私が早く起きて行くと既にふんどし姿になっている。はしごが架かっているのを見たのは初めてだ。
 ふんどしは赤色の年が多いが、黄色の年もあり、赤ふんどしに模様が入っている年もあった。水玉模様の年もあった。水玉模様の年は、その年転勤して来た教頭先生が、毎日水玉模様のネクタイ、しかも異なった模様のをしてくるおしゃれな先生だったので、生徒達が敏感に反応して水玉模様にしたのだろう。
 今年は、自在の像を寄贈した小林肇氏が5月9日に89歳でお亡くなりになったばかりなので、自在の像に喪章を付けたらどうかなどと事務室で話して外に出てきたら、もうふんどしが完成していた。
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小林肇氏が「自在の像」を寄贈した由来や、その像にふんどしを着せようとした由来については、創立90周年記念誌『松陵九十年』に詳しい。ふんどしについては次の文章がある。書いた47期生も退職年齢を迎えた。制作者もモデルも同じ学年だったようだ。

ふんどし1
ふんどし2
T先生とは二ツ井高校から転勤してきて彼らの担任になったばかりの若き国語教師高橋一成氏だと思う。彼は生徒達と一緒になって騒いでいた。その後秋田高校に転勤、花輪高校、本荘高校、横手高校の校長を歴任したが、平成29年9月10日にご逝去された。

今年のポスターは
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第60回 そうだ、私が高校に入った年(樺美智子さんが亡くなった年)が第1回の能高祭だったから今年が60回目というわけだ。
当時は9月開催。当時、大勝堂印刷から寄贈してもらったプログラムが土曜日午前中に品切れ。追加をお願いしたらしいが、日曜日配布分は私が土曜夜にガリ切りで作成した。
第1回の演劇は小山内薰の「息子」を上演、小林太悦(生徒会長 能代一中出身 後に<おはよう納豆>のキャラクターの女の子をデザインした人 故人)、斎藤誠(転勤族の子? 水木金物店の二階に下宿?していた 90周年の原稿を依頼した時には大阪で演劇をやっていた)、武田望(東能代中出身 機織橇の目 九州でペンション経営をしていると聞いたことがあった)。
海岸に落ちている流木を拾い集めてきて展示した人たちもいた。オブジェということばを始めて知った。
喫茶店も開かれた。喫茶店といえば柳町・金勇や組合病院の脇の小路にあったカスミ(同級生梅田君の家)しか知らなかったが、教室に喫茶店が出来たのでビックリした。いろんなレコードをかけていた。
第1回目の文化祭の様子は、これも発行されて3年目の生徒会誌『巨濤』に次のように出ている。
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第1回能高祭でのブラスバンド演奏
ブラスバンド演奏
演劇「息子」
息子の一場面
食堂 総勢3年女子3名、2年女子3名、1年女子11名が奮闘
食堂
当時の生徒会副会長の佐藤忠良氏(現在も月1日北羽新報に随想を寄稿)が次のように書いている。文中の小林会長とは故小林太悦氏のこと。
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