今日は「災害ボランティア」のことを考えよう というタイトルの ボランティア活動実践研修会 に参加。<実践研修会>と名付けただけあって、他の研修会よりも中身の濃い研修会だった。
 
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会場は、いつもは200人から300人が講演を聞くだけの文化会館中ホールだが、今回は定員50名程度、参加費無料 となっていた。
研修会の様子は
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今日の研修会はほんとにいい内容、時間配分で、午後1時半から4時半まで長いという感じはしなかった。この会で第2テーブルに参加していた先輩に話を聞いたところ「最初は参加するのが億劫だったが、参加してよかった」と話していた。「それでは一句お願いしたい」と話したところ、帰り際に、
 防災の 研修終へて 梅雨晴れ間
と書いたメモ用紙を渡してくれた。参加する前の億劫さが、研修会に参加して、同じテーブルのみんなと意見を言い合い、話し合うことで研修会の内容に納得し、気持ちが晴れてきたということだろう。
会の終了時の様子は
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なお、当日配られた資料はモノクロだったが、カラーで見た方がわかりやすい。
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NSVNとなんだかわかりにくい省略語を使うよりは、新潟 災害 ボランティア ネットワーク の方がわかりやすいと思うが。

水害の場合、川の水かさがわずか20分間で増大したことを画像で紹介
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避難所生活の例 小さな集落の避難所 ステージに洗濯物を干してある(この画像をクリックすると画像が拡大されるので、よくわかる)
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300人規模の避難所 入口で自治会担当者か市役所担当者と思われる人が何か点検している。
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大きな避難所 真ん中付近には車椅子も 真ん中付近には救援物資をもらう人の列
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その列の、救援物資を配っている場所
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お坊さんが避難者に話しかけている様子
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炊き出しの様子
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救援物資
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今日の実践研修の課題は、これら避難所の写真を見ながら 避難生活での『困りごと』探し
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私は昭和31年3月20日の火災(第2次能代大火)で焼け出され、渟城第三小学校の教室を避難所とした生活を思い出しながら書いた。当時私は4月から渟城第二小学校の5年生から6年生になるときだった。渟三小の避難所になっている教室から渟二小の6年松組に通った。避難所には4月末まで暮らし、5月始めに自宅バラックに引っ越したと思う。

今は教室は生徒が使用し、体育館を避難所にすることが多いが、春休みだったためか教室を使用できたことは幸いだった。多くの世帯が避難所暮らしをしたが、1つの教室に入ったのは数世帯。机を使って間仕切りし、プライバシーは比較的保たれた。

夏のある日、登校する時、今日の帰りから南仲町に行くように言われた。南仲町とは今の宮茂登の近く、川添茶店の斜め向かいだった。当時そこには感応寺というお寺があり、そこは今は出戸町児童公園になっている。学校からそこに行ったら、我が家の小さなバラックは、馬車に引かれて疎開道路と柳町新道の広い道路を通り。そのまま南仲町に引っ越したのだそうだ。

母の弟は馬が好きで好きで、機織(今の東能代駅前)で馬を飼っていたから、馬車を準備するのは容易だったのだろう。(話は脱線するが、私が高校生になった時まで、今のいとく通町店裏には馬車屋があり、キリンガ原(今の松美町から昭南町にかけて?)の広場では、馬力大会が行われていた。)

写真を見て感じた『困りごと』を書き出したものが下の写真
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