新・風の松原を歩く

PC版では、2017年5月までの「ブログ 風の松原を歩く」も表示したまま、画像を沢山表示できるように、またスマホからも投稿できるようにした。 名前を「新・風の松原を歩く」とした。 「風の松原」は秋田県能代市の海岸砂防林である。

2020年01月

今朝早くJCHO秋田病院へ。一日ドックへの参加だ。この病院で人間ドックを受けた最初はh27年2月。その年は入院ドックだった。それまでの社会保険病院という名前からJCHO秋田病院に変わって間もなくのことだったかもしれない。続きを読む

先日、大高孝雄氏から「通信文化」という刊行物をいただいた。日本郵政グループの会員雑誌のようだ。この表紙の絵画は大高孝雄氏の作品だった。
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昨日の講演内容やその後の話題になった場所を歩いてみた。最近は秋北バスの旧型のデザインを見たことがなかったので、市役所第4庁舎跡地前でパチリ。ここの使用方法はまだ提案されていない。

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講演会に続いて新年祝賀会が開かれたのが午後5時ちょうど。昔は「新年会」だったが、いつの年だったか「新年だからおめでたいことだ」とかなんとか理由を付けて「新年祝賀会」となった。最初に恒例の校歌斉唱だが、学校事務局が歌詞カードを忘れて来たとかで1番だけ歌った。続きを読む

一昨日の天気予報で「今週は連日良い天気」と書いた。ところが昨夜町内を歩いた時は薄くモヤがかかったようにくすんでいた。今朝は濃い霧。外に出てみたらフロントガラスが凍っていた。家内がサークルの新年会に出掛ける時には雨が降り始めていた。続きを読む

「年賀状のことば」を(10)まで書き、年賀状をおしまいにしたくないと思って友人にハガキを書いた。
今朝そのハガキを投函に行こうととしたら、地元新聞に「年賀状仕舞い」というコラムが載った。
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ある人から連絡があり、昨日はカレーの日だったという。たまたま我が家では昨日カレーライスを食べたが、カレーの日は意識していなかった。語呂も合わないのに何故だろうと思って調べてみると


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昔、鹿角市の高校に勤務していた当時、1月下旬になっても雪が少なく、インターハイスキー大会が開催出来ずに困ったことがあった。
その年は結局、大湯スキー場でノルディック競技を、八幡平でアルペン競技を開催した。今年は、
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前回、大卒後初めて出席した結婚式の人が昨年金婚式を迎えたという賀状を紹介した。今回はその翌日に結婚式を挙げた友人の賀状。この時は2日続けて仙台近辺での結婚式に参列することになった。続きを読む

年賀状のことばの7回目は私たちの仲間で最初に結婚した人たち。今年の賀状には本文にお二人の名前が出ているので紹介できないが、昨年まで数年間の賀状には名前が出ていないので紹介しよう。続きを読む

年賀状の当選番号を調べていたら「年賀状のことば」を3人分しか紹介していなかったことに気付いたので4人目を紹介する。こうやって昔の賀状を読み返すと、いろいろ思い出す。2000年に替わるころのことも。
年賀状の宛先を見て、そのころ私が「蛇森」という怖い地名に住んでいたことを思い出した。山を下りて行けばコンビニがあって朝飯には困らなかったが。
年賀状のことば()()(

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今日から「最後のセンター試験・・・」ということで話題になっているが、大学入試の共通化が始まったのは1979(昭和54)年1月だった。その様子を、その年度から能代北高校に赴任した能北新聞を見ると


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今日がセンター試験初日のためか、テレビでは昨夜から「東京で雪が降るか」心配していたようだが、大して降雪、積雪はなかったようだ。東京が雪の時はこっちは天気がいい。(ことが多い)続きを読む

村井純氏が退官したという。まだ助教授だったころ、ワイドプロジェクトを始めたのは30年以上前だったと思う。
まだセブンイレブンが本当に午前7時に開店した時代だった。
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昨夜遅くまで掛かって飲み会の「ご案内」を完成。返信用ハガキは35枚準備していたが、84円切手購入を忘れていた。朝は別な日程があるので、手元にある切手や、使うアテのない記念切手を探し出して貼り付けて31人分完成。郵便局に行く途中の4人分は手渡しで配達しよう。続きを読む

「下栄町線4」というのは栄町に立っている電柱の名前だ。1月12日(日)朝、ある家から電話があった。見慣れない電話番号なので私が出た。用件は「近所の街灯が消えているので直してほしい」というものだった。続きを読む

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