駅前の友人から電話があり、旧北高の駐車場に駐車してその人の家に急いだ。私の頭の中では、「あの家の小路は狭い、クルマを止める場所はない。山方工場に向かう旧国道はクルマが多い」というイメージだった。
昭和52年、北高に赴任した頃は駐車場は玄関ロータリーの周囲だけだった。体育の先生方は体育館と第二体育館の脇の通路に駐めていた。
IMG_8712
そこに一番早く来てクルマを駐める人は山崎富之助先生。私はだいたい2番目だった。私も近くから通っていたので大きなことは言えなかったが、山崎富之助先生は、天気の良い日は市内をドライブしてから学校に来て、雨の日はクルマは車庫に入れたまま歩いてくるという人だった。何しろ通勤距離200メートルか300メートルだった。
 そんなことを思いながら玄関近くに駐車しようとした。そこには先客がいた。そのためやむなく隣の場所へ。今は白いクルマに乗っているが、その頃は緑のシビックに乗っていた。CVCCエンジンのシビック2ドア車ができたばかりの頃だった。
IMG_8710
何故、玄関近くに駐めようとしたかというと、真ん中付近はロータリーが邪魔になって、駐車が難しいからだ。今朝駐めた時も同じだった。いつも山崎先生が職員室から見下ろしていて、駐車の位置が悪い職員は注意されたものだった。
そんなことを思い出しながら、電話を寄越した人の家に向かったが、歩いて行くと、途中に駐車できそうな空間があちこちにできていた。その家に着くと、「公設市場跡に駐車すればよかったのに」と言われた。
IMG_8711
玄関前にこんな植木?があって、触るなとか何か注意書きがあった。