まず米代川の堤防を進む。
ここをまっすぐ進むとここで行き止まり。左側に川沿いに歩いて行くと河口に行くことができる。
車では入れないようになっている。
能代側はよく見える。
老人ホームなどの前を下り、太陽光発電パネルの前を白神山地側に進むと、太陽光発電パネルの終わったところに有料老人ホーム「ことりの郷」がある。
入ってゆくと看板が立っていた。鉄製の扉、しかし脇に人が歩いている小径がある。
しかしこの案内板の画像も消えていた。ここから入る。
付近の林にはニセアカシアなどの雑木があるが、陸上競技場近くの風の松原と違い、雑木林やジャングル状態にはなっていない。
林のクロマツはまだ細い。昭和30年代の植林だから、まだ50数年の木だ。間伐して太陽光が届くようにする必要がある。
進んでゆくと途中にガードレール? その海側の木はもっと細い。
ここから白神山地も見える。白神山地側に少し進むと海側に進む小径があった。
そこを進む。海岸へ伸びる小径がハッキリと出来ている。
柵には入口がないように見えるが、進んで行くと、ところどころ柵が離れているのがわかる。
護岸の上に上る。
平成5年度という文字が読み取れる。次の段は「大開浜海岸(3)」?
柵にも違いがあった
こちらはよしず張り?
北に進むにつれて生育がいいのは植林年度が早いから?
植林が一列ずつまっすぐに並んでいる。人工林であることがハッキリ出ている。
私が就職したばかりの頃(今から50年前)は、風の松原中心部の林もこのように遠くまで見通すことが出来た。あちこちでキノコを採っている人の姿も見えたから、安心して林の中を歩くことが出来た。
私が風の松原を歩き始めた頃(2004年)は、旧海水浴場近くのこの標識も全部見えていた。砂に埋もれてはいなかった。
この半分以上砂に埋もれた看板(同じ時に立てた看板が陸上競技場脇にもある。大きさはそれと同じ)は、今でも「新奥の細道」「ポンポコはまなすのみち」と読むことが出来る。今から15年ほど前はこの道が、海水浴場からポンポコ山まで続いていた。途中まで歩いたことがあったが、心細くなって引き返したことがある。
陸上競技場脇の看板はこれ
火力発電所の工事に伴い、海上のコンクリート護岸?が1000数百メートル?に延長されてから、砂が向能代側に飛ぶようになり、海水浴場も砂に埋まり、使えなくなった。砂の力は偉大だった。「海岸砂防林」と言われるゆえんだ。
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