礼服を洋服ダンスから出して、ふと思い出した。この礼服を作ったのは1970年の秋。母が知り合いの洋服仕立て屋さんに頼んでくれたものだった。栄町の洋服屋さんだった。あとから私が栄町に住むことになろうとは予想だにしなかった。
花輪に勤務して3年目、担任しているクラスの生徒からは「卒業式に着てくるふぐはあらったが?」と言われていた。
秋に、仮縫いをした服が出来てきて、最初に着たのは、新聞社勤務で、当時盛岡の支局に勤務していた友人の結婚式だった。
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その後、8月21日に義兄が亡くなって夏服を作ったりして、今は3着持っているが、冬に着るのはやはりこの服だ。50年目。ご苦労様です。縫ってくれた人の顔が今でも目に浮かんでくる。
あとからその人の娘さんを担任した。娘さんから来た年賀状には「友人のために縫ったウエディングドレスです」と写真が載っていたこともある。