4月6日にこの「砂山に追われて」を書き始めたが、今日13日明日14日で完成したい。新しい写真が間に合わず、15日朝も昔の「砂留山」付近を散策した。

これは私の妄想を交えた物語である。今から400年前ほどの話から始まる。船で、といっても今のような大型船ではない、帆をかけたような船で日本海を遠くまで、他の国までも出掛けていた時代の話である。

出羽の国? 今の山形県酒田市あたりで魚を捕りながら暮らしている人たちがいた。
ある日、突然襲ってきた刀や槍を持った集団に襲われた。そういうことが1回や2回ではなく続くようになり、彼らは考えた。海に出れば魚はどこにでもいる。家を捨てて逃げよう。

漁業を生業としていた人の中には北前船に乗ったことのある人もいたのだろう。「男鹿の先まで行けば、百合の花が咲き乱れる海岸がある。あの百合の根を掘って食べても暮らして行ける」と考えたのかもしれない。その人たちが暮らし始めた集落がひとりの絵師によって描かれていた。
出戸村の一部の2
沼の手前に描かれていた集落がこの人たちの集落だった。
沼は萩野の沼か?
このように描かれているということは集落が出来て数十年は経ったのだろう。
遠くに見えるのがこの街の家(下浜? 清助町?)だと思われる。
絵は『能代市史 特別編 自然』601ページ。
『宇良の笛多幾』「能代の浦」<長崎の岡にのぼりて、渟代の浦回を見やりたる>
上の絵は601ページに載っている下の絵の一部分を拡大したものだった。
出戸村
この解説文を読むと、8軒ほどの人家は出戸村と呼ばれていた。
しかしこの出戸村は砂嵐のためにここから追われることになった。

追われた人たちは砂留山の東側に居を構えた。
それは現在の下の建物付近だった。ここは現在は青葉町だが、当時は砂留山と呼ばれていたらしい。実際に標高12m程の山だったようだ。
現在はこの介護施設の西側に児童公園がある。
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この介護施設の西側にも児童公園がある。出戸沼自治会館という自治会の建物もある。能代の児童公園は昔お寺や墓地だったところが多い。ここは昔火葬場だった場所だそうだ。
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自治会館の後ろはクロマツに囲まれた墓地だ。
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昔の砂留山というのは高さ12mくらいの高さだったらしい。山の上に神社を作っていた。名前は「山神社」
こんな絵が残っている。
山ずみの神ある丘(山神社)
しかしこの山の近くから砂の被害を避けるために更に現在の「出戸」まで追われることになった。











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