昨夜遅く帰宅して能代も東京と変わらぬ暑さに驚いた。
ブログの画像はこれから増やしてゆくが、エピソードを2つ紹介
会場も広いが並んでいる人も多い。その先はどうもトイレだ。バスの中での待機時間が長かったから無理もない。
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大きなスクリーンが何枚も掛かっており、ステージまでは見えない
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真ん中に演壇のようなものが見える。
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ようやく秋田県席にたどりついた。正面の演壇と思ったものは金屏風らしい。
トイレの長い列に並び、終わって秋田県席に戻るとすぐ、ひとりの女性か秋田県の参加者席を訪ねてきた。
「能代市から参加した人はいませんか?」
能代市からは向能代地区、檜山地区、能代南地区から3名参加。
「鹿児島から来ました。能代市大正町出身です」と言う。「大正町」という住居表示は今では使われていないが、叔父の家があったから覚えている。児童公園の名前などに残っている。叔父の家は児童公園の北側で教員の家が数軒並んでいた。近くには昭和31年大火後に建てられた市営住宅が多い。サン・ウッドの近くだ。話を聞くと、
「今年は古希の祝いがあるというので能代に行くのを楽しみにしていました。案内状が届いたら9月16日なのでがっかりしました。敬老の日を含む3連休では民生委員の行事があるので行くことが出来ません」
というものだった。私の義妹もその会に参加予定なので、幹事代表のS氏にメールで知らせることを約束した。向能代地区から参加した人も鹿児島の人と同じ年齢。

<下の写真2枚に関した部分は7月13日追加記入>
後日、旧大正町に行ってみた。児童公園は大正町のまま。
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奥に子ども七夕を制作作業中のテントがあったので入ってみた。そこには「大正町 子供七夕」の会所灯籠。
住居表示は「末広町」と変わっても、自治会名はそのまま「大正町」として残っていたのだ。
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翌朝 散歩に出た山下公園のベンチでS氏にメールを打った。S氏からの返事は
「Hさん(旧姓W)さんとお会いになった由、私たちの同期生で一番遠方にいる方だと思いますが、奇遇でしたですね。」とあり、更に私の不在中に能代であった会議の資料を我が家に届けたこと、資料内容をよろしくとの言葉があった。

実は、S氏からの依頼に関しては、私の同期幹事から全国大会の最中に何度も電話があり、そのための会を能代に戻ってすぐに開くことを手配していた。家に帰って家内にその話をすると、家があった位置も覚えていた。栄町にいる◯◯さんの親戚ではないかと言っていた。

もう一つのエピソードは、
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この画像。
秋田空港について荷物を待ったが、私の旅行バックがない。同型のバックとお土産袋が1つ(お土産袋は我々が宿泊したホテルの中にもある重慶飯店の赤い袋なので、すぐに我々と同じ団体のものと判断したが、空港職員は 「団体客のものならそちらで連絡をとってください」 と言い残して引き上げてしまった。
幸い事務局のTさんが機転を利かせてリムジンバスで帰る人に呼びかけ、間違えて持参しようとした人が判明したが、預け入れ荷物の受け取り出口で番号を照合するチェックが行われていた形跡がなかった。もしも間違えて持ち帰った人が団体客でなかったら? 今ごろどうしていただろう。私のバックに入っていたのは汗に汚れた下着類と大会資料だけで、私の身元がわかるものや貴重品はすべてB5判のショルダーバッグに入れていたから、私のバックの処置に困っただろう。今度は名刺1枚は入れておこう。

私もその人のバックの写真を撮る余裕がなかったが、並べて見ると色が茶色系統ということと、大きさがやや同じというだけで、間違えるとは思われないのだが。

なお、重慶飯店のお土産袋は荷物の番号と連続しておらず、別の人のものだったようだ。買ったことを忘れているかもしれないね。