家内がいとく南店で買い物をしている間に豊祥岱付近を歩いた。
はじめて豊祥岱を歩いたのは1970年代の始め、秋のことだった。
豊祥岱バス停を降り、山? 砂丘? 丘?なんだかわからないが、砂利道を歩いて上った。
広い道幅の道路を東に向かって歩いて行ったから、その時は気付かなかったが、頂上付近に
とどう商店(登藤商店)はあっただろう。
この地図は「ゼンリン住宅地図2000」なので、この地図よりも30年も前の1970年代の話で
その手前にハマヤプロセス工芸などもあるが、この豊祥岱の山に掘割りが出来て国道が通る前に、
ハマヤプロセス工芸が存在したかどうかは不明。
が高校生の頃「とっちゃ」と呼んでいたD組担任、市川嘉宏先生の家があった。生け垣を巡らし
た大きな家だった。
当時の担任は3年A組(私の組)白鳥邦夫、B組榊田四郎、C組塚本昌久(退職してから塚清の
社長)、D組市川嘉宏、E組武田重蔵(息子さんは現在鎌倉学園の教頭先生)その年の職員写真
は
止)、小山善一学年主任、塚本昌久、武田重蔵、白鳥邦夫
この写真の中には先日、別のブログで話題になった鈴木正昭先生も載っている。後ろから2段
目、左から2人目が畠山和也(数学:ご健在で岩手県在住)、3人目中村弘子さん(事務、現
姓は小川:由利本荘市在住)、4人目が鈴木あねちゃだ。
この写真では最後列右から3人目の伊勢眞佐実先生も現在95歳・藤沢でご健在と先日伺った。
最後列左から3人目近藤貢太郎先生も男鹿でご健在? 近藤先生の左は大山昇市郎先生、近藤
先生の右は太田監督。
脱線してしまったが、市川先生のお屋敷は、今はどっかの業者に売り渡され、住宅団地となり
真ん中に道路が出来た。市川先生の屋敷跡には8軒の住宅が建っているようだ。
その住宅団地の脇を入る道路の写真
この黒い建物のあたりに能代高校の教員住宅が数軒建っていたのだ。
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