10時半過ぎ大雨警報が解除になったので、米代川を見に行った。
最初に米代川の増水を堤防から撮影したが、7月17日の「米代川増水?」ブログと同じことで、平常時の基準がわからないから、増水かどうか判断できない。昨日も花火の時にここを歩いたのだが、昨日は見ている方角が逆だった。
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そこで3キロほど上流まで歩く
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川の流れは速い
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ここまで来ると米代川が大きく左に湾曲しているのがわかる。
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昭和47年7月の大洪水で堤防が80mにわたって切れた付近だ。
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碑の右側にその時の説明を彫ってあるのが読めるだろうか>
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洪水は直進しようとする力が強くなるから、わかるような気がする。
あの時の雨が降り始めた昭和47年7月5日頃から連日の雨、8日か9日の日曜日だったと思う。私は鹿角市花輪明堂長根の高台に住んでいた。高校のある高台から坂を滝のように流れる雨を見ていた。

同じ日、やはり花輪の自宅に帰っていた当時の二ツ井高校の校長先生は、危険を感じてタクシーを頼み、二ツ井の官舎に向かった。しかし、タクシーは水かさを増していたきみまち阪の藤琴川に掛かる橋を渡れず、現在の道の駅付近でストップした。小川校長は危険を冒して歩いて橋を渡ったという。
当日夜か翌朝、二ツ井町中心部は水没、二ツ井高校生がボランティア活動の主役となった。私が二ツ井高校に転勤になったのは翌春のことだった。洪水のあった7月10日は、高校時代の恩師白鳥邦夫先生の誕生日だった。
その前年秋に二ツ井高校で国語教育の県北か全県大会があり、私も参加していた。二ツ井の石井先生の授業参観、小坂高校佐藤正二先生の研究発表があり、懇親会終了後に白鳥邦夫先生に誘われて、校長住宅で、京校長、荒谷浩指導主事と一緒に飲んだことがあった。