能代市に新設される「秋田県立能代科学技術高校」の校歌が発表された。能代工業高校に
長く勤務した武田幹夫君の作詞だったことは喜ばしいことだ。
このブログのタイトルを「科技高」と超みじかい略称を考えたが、「秋田県立能代科学技
術高校」→「能代科技高」→「科技高」に変化していくのに時間は掛からないだろう。
学校が業績を上げてマスコミで取り上げられることが多くなれば「科技高」の名が定着す
るのも早まるから。
今朝の北羽新報に掲載された記事は
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私にとっては、校歌が決まったことよりも武田幹夫君が作詞したことの方が嬉しい。
 武田幹夫君との出逢いは、私が勤務していた花輪高校に彼が教諭に任用されて来たこと
であった。
 それ以前に講師として県南地区や男鹿地区に勤務していたらしいが、会ったのは花輪高
校が始めてだったと思う。
 当時の花輪高校には能代高校出身者がたくさんいたから歓迎会の時に自己紹介されたの
かもしれない。彼は定時制勤務だったが、親睦会の名称が「東雲会?」とかで、歓迎会や
送別会は全日制・定時制合同でやっていた。場所は浅利書店近くのマルダイだったと思う。
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 私が花輪高校から二ツ井高校に転勤した時の送別会は、マルダイではなく、「尾去沢ク
ラブ?」だったかもしれない。その時、武田幹夫君は送る側に座っていた。
 ところが二ツ井高校で、不二亭でおこなわれた歓迎会では武田幹夫君も歓迎される側に
いた。当時は定時制では後から人事異動が発令されることもあった。
・・・
 私が二ツ井高校在職中に「秋田風土文学会」が発足に関わって入会した。代表者が武田
幹夫君の恩師で同じ大学の先輩・後輩だったからか、武田幹夫君も入会し、まもなく幹事
長になった。「幹」夫という名のためではないが、彼は「幹事長」にふさわしく、長く幹
事長を務めることになった。私は能代高校と鷹巣高校で武田幹夫君と一緒に勤務した。
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