昨日「松原サミットの記憶 記録(その1)を掲載したが、今日は平成元年の新聞報道を調べてみた。 
松原サミット(日本五大松原サミット)が行われた当日の北羽新報にはこんな記事が掲載されていた
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平成元年のこのときにサイクリングコースも時計塔も完成したことがわかった。29年も過ぎた今日、時計塔は桜並木の下に埋もれてしまった。

北羽新報の10月8日の紙面
第1面は
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この記事には渟城第一小学校の児童が自作の砂防林賛歌を歌ったことが紹介されている。この時は「切手のないおくりもの」の替え歌として作詞したが、後には同校教諭によって作曲されて生まれ変わった。
曲のタイトルは 「ぼくらの松原」 平成23年9月25日の「風の松原300年祭」でも渟城西小学校の児童によって歌われた。
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そのほか北羽新報には記念植樹の写真も掲載されている。この写真を見れば、植林したのは5人と想像される。
そうすれば先ほどの10数本もあるクロマツは誰が植えたのだろうか?
記念植樹
会議の様子も紹介している
五大松原サミット