11月17日(金)の朝日新聞に不破哲三氏のインタビュー記事が載っていた。私が思い描いたのは安嶋彬先生のこと。不破哲三とは東大で同期だったと聞いたことがある。
安嶋彬先生から教わったのは昭和35年、高校1年の時。当時の科目名がどのように分かれていたか覚えていないが、今でいう現代文と古文、漢文の全部を教わった。安嶋先生が授業中に脱線することは少なかったから、不破哲三と東大同期と聞いたのは、2004年5月のきみまち阪集会での安嶋先生の講演の時。きみまち阪集会のあとで発行された本はこれ一冊だけ。秋田のこだま終刊号だ。
 私は高校2年の秋、「秋田のこだま」の発行を担当していた畠山正治先生に依頼されて、第8号の「ガリ切り」(今では死悟辞典に入っている)のアルバイトをした。10ページくらい書いたのだろうか、アルバイト料8,000円をいただいた。それを修学旅行の小遣いとした。買ってきた自分へのおみやげは『ろうそくの科学』『草の花』『シュリーマン自伝』3冊だった。3冊とも能代では手に入らない岩波文庫だった。(福永武彦の『草の花』が岩波文庫だったかどうか自信がないが)
秋田のこだま

この『秋田のこだま』の146ページに「運命の日」、148ページに「葬式」が書かれているが、安嶋彬先生一家は二ツ井町の駅裏の山沿いに住んでいた。1960年7月25日に次女みどりちゃんが近所の用水路で水死、図書部員だった私たちは火葬、葬式も手伝った。葬式は暑い盛りで、自宅から清徳寺まで行列して歩くとき、私たちの下駄が、駅通りの溶け始めたアスファルトにくっついて困ったものだった。

当時の能代高校は5クラス、5人の教師が1クラスずつ教えており、私たちD組は安嶋先生だったが、ほかには山田顕一先生、鈴木正昭先生、白鳥邦夫先生、佐々木辰雄先生が担当していた。

能代高校同窓会の会報「松陵」の編集を担当するようになって、安嶋先生から「恩師探訪」に執筆していただいた。平成21年12月1日発行の第21号
安島さん恩師探訪


今年安嶋先生から来た賀状は
賀状2
安島さん賀状
大高芳雄先生は2015.5.19日にお亡くなりになったことを伝え、伊勢眞佐實先生は藤沢市に住んでいる住所をお伝えした。
今年5月に奥様 安嶋 君さん(当時は図書司書として毎日顔を会わせていた)から来た訃報は、
安島さん訃報2
今年4月29日にご逝去されたことを伝えるものだった。私は1月中に返事を書いたのだが、安嶋先生は伊勢眞佐實先生と会うことが出来たのだろうか。