(2017年12月10日)先日渟城西小に行った時に昨年夏に日時計歌碑のブログを書いたことを思い出して検索した。そうしたら最後の部分が完成していなかっただけでなく、昨年のブログは写真をあまり拡大出来ないことがわかった。今のうちなら復元可能と判断した。
-----ここから復元-------あとから2016年7月10日に移動する予定------



今日の目的は7月7日に見た日時計歌碑の説明をブログに書くこと。
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前庭の奥の方に日時計歌碑が建っている。そして日時計の正面は南を向いている。この写真では右端に小さく見える。
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この写真右の碑が日時計を載せた歌碑だ。真ん中の黒い記念碑は昭和49年の百周年記念碑。この記念碑も上部の白鳥像が壊れていた。どうするのだろうか?
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百周年記念碑はこちら
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100周年記念碑(2011年7月21日撮影)
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この場所から撮影すると日時計の様子がよくわかる。
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日時計歌碑の正面はこちら
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正面の銘板を拡大。この画像をクリックすると更に拡大されて碑文を読むことが出来る。
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碑面には
先輩 安成二郎(やすなり にろう)から後輩に贈る歌
おいすでに われにいたりぬ しかれども またあたらしき としにまなばん 安成二郎
 明治33年(1900) 渟城尋常高等小学校卒業
(上の短歌の意味) 私はすでに老人だが それでも 新しい年に新しい気持ちになって また 学んでいこう

昭和44年(1969)に安成二郎が歌集「夜知麻多(やちまた)」からこの歌を選び、揮毫(きごう)しました。

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台座には落成記念(昭和44年)の歌の楽譜もあった。(昭和44年当時の校長先生 杉山庄蔵先生作曲)

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ここに2011年7月22日付け北羽新報の切り抜きがある。この日時計歌碑の除幕式の記事である。
日時計カラー
ようやく古い写真を探し出したが、これは東日本大震災後の2011年4月26日に撮影した写真。右手に百周年記念碑が見える。
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これは昭和60年8月に能代北高文芸部の顧問をしていた時に北高祭で「能代山本地方の文学碑」を発表した際の展示写真として撮影したものです。この写真の後ろに百周年記念碑の白鳥が少しだけ見えます。
昭和60年8月

これは広報のしろの昭和62年3月10日号に掲載された日時計歌碑の紹介文です。
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渟城西小学校の日時計歌碑 再建修復完成のご案内
案内状
参考資料1
参考資料1
参考資料2
参考資料2
参考資料3
参考資料3

除幕式次第
除幕式次第
日時計落成記念の歌
日時計記念の歌

<安成先生と平凡百科同窓会 小原銀之助>
平凡百科同窓会

<除幕式のパンフレット(オモテ面)>
パンフレット表紙
<パンフレット(ウラ面)>
パンフレット裏面
安成二郞
安成二郞
小原銀之助
小原銀之助

<パンフレット 中面の左側>
寄贈のことば
(上の画像をクリックすると画面が拡大表示されます。2段階に拡大出来ます)
昭和44年12月初代日時計序幕式
初代日時計歌碑の除幕式
平成19年4月 傷んだ日時計の状態を調査
傷んだ日時計の状態調査

<パンフレット中面の中央>
能代と安成と小原
<パンフレット中面の右側>
能代「日時計歌碑」雑感

(まだ針金でグルグルに巻かれた写真とインターネットの「能代山本地方の文学碑」が発見出来ていませんが、発見次第ここに掲載しておきます)

※ 私が「白神ねっと」から退会したので、インターネット上の「能代山本地方の文学碑」はもうありませんでした。しかしそのデータは手元にありましたので、あとから復元したいと思っていますが、その画面だけは作成しました。このホームページを「能代日時計の会」の方々がご覧になったのだろうと思います。
安成二浪
この右側の写真を拡大すれば針金でグルグルに巻かれている様子がわかります。パソコンで見るよりもスマホで見た方がより大きく拡大出来ます。

2011年7月21日除幕式の様子はこちら

針金でグルグル巻きにされた日時計の写真が見つかりました。上のインターネット上の写真の中に平成13年5月20日とあったので、それを頼りに探したら能代公園のツツジの写真といっしょに見つかりました。
能代公園のツツジの写真
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渟城西小の日時計
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