2月13日の北羽新報に 細々と息づく「銭湯文化」という記事が載っていた。
紙面が大きくてスキャナー出来ないので、写真撮影で紹介するが、
IMG_20180214_221525
紙面を追加 やはりスキャナーした方が読みやすい
銭湯



この紙面だ。「県内で唯一複数軒残る」と見出しにもあるが、県内には全部で7軒、だという。明治湯と巴湯が能代には残っている。
DSC_9149
DSC_9169

巴湯は馬喰町、明治湯は明治町なので私は行ったことがない。
私は小さい頃は疎開道路(今ののしろ庵、昔の近藤そばやの数軒西側)に住んでいたので、梅の湯、栄湯、住吉湯などに行っていた。南中町(柳町新道の西側、中央劇場の近く)に住んでいた時は、住吉湯、鶴の湯に通った。
結婚して栄町に来てからは梅の湯の筋向かいだったので、自宅に風呂場を作るまでは梅の湯に通ったものだった。その頃は栄湯はもう営業していなかった。但し栄湯の施設が撤去されたのは昨年。今では風呂場の壁1枚だけが残っているようだ。
梅の湯は日本海中部地震以降もボイラーを修理してしばらく続けていたが、今ではすっかりとり壊して駐車場になっている。
新聞に書いているような銭湯文化はあったのだ。