先ほど掲載した「高階梅子の歌碑」から松風庵の方角に100メートルほど戻ると句碑のアパートかと思うような大きな碑がある。それが俳星碑だ。碑の正面には当時の秋田県知事小畑勇二郎が書いた「俳星碑」という文字がある。
この碑は昭和52年9月に句誌「俳星」が700号を達成したことを記念して建立されたものである。

高階梅子歌碑から向かうと、大きなけやき?の木の根元に小さく見える。
4月28日の写真
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4月19日の写真 このように撮すと木の大きさが判る
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近づいて撮影する。隣に句の文字を判りやすく書いた説明板もある。この説明板は2代目か3代目だ。
俳句雑誌「俳星」は能代を発祥の地として明治33年(1900年)創刊。命名は正岡子規。嶋田五空が創刊した句誌に正岡子規が「俳星」と命名した書簡が中央下段に彫り込まれており、上段には歴代の主幹・編集責任者自筆の句が掲げられている。
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何度も見ていて撮影を忘れていて、説明板は5月14日に撮影した
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この説明板をクリックすれば写真が拡大されるので読むことが出来る。この説明板に間違いがあると思う。原文と読み方、また名前だけでは不十分なので、姓を加えておく。
 材木や米代川の秋の風  (石井)露月
 斯文不亡蒼天麗かに(このふみほろびずそうてんうららかに) (佐々木)北涯
 誰を得て衣鉢(いはつ)伝へむ寒稽古  (嶋田)五空
 鶺鴒(せきれい)や天地開闢(てんちかいびゃく)よりの閑(かん) (赤木)格堂
 鳥追や早(はや)誰そかれの袖の雪  (岩動 いするぎ)炎天(えんてん)
 この道の能代につづく遅桜  (柴田)紫陽花(しようか)
 秋風や身は野ざらしの五十年  (越前)北方
 一望の中に枯野の大傾斜  (小笠原)洋々
 詠みなやむ連句の恋や藤の雨  (石田)三千丈
 初鴉(はつがらす)大方河を渡りけり  (松田)撲工(ぼっこう)
 燈下親し音たてて来し夜の雨  (平川)霞渓子(かけいし)
 ぼんぼりの灯の水色やかご枕  (岩見)汀波(ていは)
  
また、裏面の碑文は下からはなかなか読めない。カメラで写そうとしても難しい。碑面では北村季吟の教えを受けた渟城桂葉以来の秋田俳人、子規一門、俳星の全国各地の先哲がこの俳誌に寄せた功績をたたえ、「秋草のなべて声あり吾も行く 佐々木左木」と結んでいる。

俳星碑の裏面の一部
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