新・風の松原を歩く

PC版では、2017年5月までの「ブログ 風の松原を歩く」も表示したまま、画像を沢山表示できるように、またスマホからも投稿できるようにした。 名前を「新・風の松原を歩く」とした。 「風の松原」は秋田県能代市の海岸砂防林である。

松原資料館

風の松原に守られる人々の会の会報「松風」第043号が今日発行された。但し、会員の皆さんに送られるのは、現在編集中の『風の松原 20年のあゆみ』との関係で、遅くなるかもしれない。
このブログをパソコンで見ている人は、画面右側の<カテゴリー>の下の方に 会報「松風」という項目があるので、そこをクリックすると第001号から第043号まで読むことが出来る。

続きを読む

風の松原に守られる人々の会が年2回発行している会報「松風」の第42号が発行された。

続きを読む

2008年8月12日から2009年4月19日まで31回に亘って連載された梅田市美氏の切り抜きがある。梅田市美氏は「風の松原に守られる会」の名称の名付け親でもある。この切り抜きは1日数回分を紹介する必要がある。続きを読む

2008年8月12日から2009年4月19日まで31回に亘って連載された梅田市美氏の切り抜きがある。梅田市美氏は「風の松原に守られる会」の名称の名付け親でもある。この切り抜きは1日数回分を紹介する必要がある。続きを読む

2008年8月12日から2009年4月19日まで31回に亘って連載された梅田市美氏の切り抜きがある。梅田市美氏は「風の松原に守られる会」の名称の名付け親でもある。この切り抜きは1日数回分を紹介する必要がある。続きを読む

2008年8月12日から2009年4月19日まで31回に亘って連載された梅田市美氏の切り抜きがある。梅田市美氏は「風の松原に守られる会」の名称の名付け親でもある。この切り抜きは1日数回分を紹介する必要がある。続きを読む

2008年8月12日から2009年4月19日まで31回に亘って連載された梅田市美氏の切り抜きがある。この切り抜きは1日数回分を紹介する必要がある。続きを読む

2006年6月26日の北羽新報は「松原で作業根気よく」という見出しでニセアカシアの芽欠き作業を報じていた。

続きを読む

2006年6月12日の北羽新報は、本文の最初が「旧能代市では、」と書き始めていて、二ツ井町と合併して間もないころだったことがわかる。

続きを読む

2006年6月7日から10日まで4日間にわたって伊藤忠夫教授が「日本の松原を次代へ」という意見を北羽新報に連載していた。


続きを読む

2006年5月30日の北羽新報はきみまち阪にも松くい虫の被害木が発生したことを報じている。続きを読む

日本緑化センターで「日本の松原再生シンポジウム」を開催した同じ日の秋田さきがけ新報夕刊はDKが由利本荘市とにかほ市に松林再生のために2億円きふしたと報じていた。続きを読む

2006年5月22日の北羽新報では「日本緑化センター」のシンポジウムを報じている。

続きを読む

2006年4月15日の北羽新報の記事では「修学旅行の誘致を重点に」という記事もあった。実際に風の松原にきた高校生の修学旅行団もあった。後から新聞スクラップに出てくると思う。

続きを読む

2006年4月6日の「風の松原ガイド養成講座」の記事は、能代市役所が始めて実施した風の松原ガイド養成講座の2回目の1コマだった。
続きを読む

2006年4月27日から5月1日まで 『国有林(やま)は地元へ』という投稿が寄せられていたので紹介する。

続きを読む

新聞スクラップの中に2006年4月16日から19日に3回連載された、鈴木ゆみさんの随筆が見つかったので紹介する。続きを読む

新聞スクラップの中に2004年2月24日から28日に3回連載された、鈴木ゆみさんの随筆が見つかったので紹介する。

続きを読む

2006年4月2日の北羽新報にはゴミのポイ捨ての記事が載っていた。続きを読む

2006年3月29日の北羽新報の記事。「松くい虫」「新規に藤里町を設定」という見出しも。

続きを読む

この「松くい虫被害 初確認」は大館市、北秋田市、藤里町でのこと。「17年度 海岸林では拡大傾向」ともあった。秋田さきがけ新報の記事。続きを読む

新聞スクラップではないがスクラップ帳に綴じられている資料があった。児玉堅悦先輩の「能代海岸砂防林」である。続きを読む

平成2年(1990)10月7日第4回風の松原フェスティバルの一環として風の松原健康マラソンが開催されたが、新聞ではマラソンが主で、フェスティバルは従の扱いだった。

続きを読む

第4回風の松原フェスティバルの様子が平成2年10月8日の北羽新報に載っていた。北羽の記事では、フェスティバルの一環として行われた「健康マラソン」がトップニュースで、フェスティバルそのものはその下に載っていた。続きを読む

100年<1>と<2>を作るのにそれぞれ1日ずつ掛かった。このまま作っていくと10日もかかることになってしまう。22日に市役所市民ギャラリーで撮してきた写真をパソコン上で拡大して記入メモを読み取りながら進めている。先を急ごう。

続きを読む

平成2年の風の松原フェスティバルを目前にした9月30日、「風の松原を育てる市民の会」が、クリーンアップを実施した様子が当時の北羽新報に記録されていた。

続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は7回目(最終回)。続きを読む

昨日撮影してきた写真では年代がハッキリしないので確かめに行こうとしたが、今日は勤労感謝の日で市役所はお休み。とりあえずわかるものだけ紹介していこう。

続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は6回目。続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は5回目。続きを読む

今日11月22日から市役所市民ギャラリーで -写真は語る-近代「風の松原」の100年 が始まった。
基本になっている10枚のパネルは風の松原に守られる人々の会が10数年前に作成したものだが、会員の浅野ミヤさんが所蔵している写真や資料を補充しているので、資料価値の高い展示であった。今回初めて見るものもあったので、皆さんも26日までの展示期間中に見ていただきたい。

続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は4回目。続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は3回目。
続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
先日(11月8日)に気比の松原の写真をもらった時に「気比の松原(けひの松原)」と紹介したが、このスクラップ記事では、わざわざ「きひのまつばら」とルビを振って紹介していた。
続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。続きを読む

この記事は平成元年10月8日の記事です。

続きを読む

この記事は平成元年10月8日の記事です。続きを読む

記事の写真を読むと「第3回風の松原フェスティバル」と書いてある。平成元年(1989)には「風の松原」と命名されていたことがわかる。続きを読む

平成元年10月7日の記事を紹介続きを読む

この新聞記事にはS63.9or10としか書いていなかった。そこで昭和63年9月1日の記事と仮定した。

続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその10回目(最終回)。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその9回目。

続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその8回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその7回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその6回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその5回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその4回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその3回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。続きを読む

↑このページのトップヘ