新・風の松原を歩く

PC版では、2017年5月までの「ブログ 風の松原を歩く」も表示したまま、画像を沢山表示できるように、またスマホからも投稿できるようにした。 名前を「新・風の松原を歩く」とした。 「風の松原」は秋田県能代市の海岸砂防林である。

新聞記事

11月10日に実施した、風の松原に守られる人々の会主催の会員研修会で木高研所長 林 知行氏の講演内容が今日14日の北羽新報に紹介されていた。続きを読む

6月27日の北羽新報に「自然の散歩道」という月に2~3回掲載される写真による連載が載っていた。今回で128回である。風の松原にある植物の写真が掲載されることが多いので、いつも切り抜いてクリアブックに保存している・続きを読む

昨日6月23日の北羽新報に「松くい虫から松原守る」 「薬剤散布作業始まる」 「27日まで307ヘクタール対象」の見出しの記事が掲載されていた。続きを読む

6月3日(土)の市民おもしろ塾で初の野外講座として 「風の松原の自然を探る」 が計画されたが、当日は雨、そこでサン・ウッドで講座が開かれた。その様子が6月17日の北羽新の記事で紹介された。続きを読む

「風の松原」百年前を旅する-近代測量がはじめてとらえた能代- という柴田裕巳さんの地図入りの一文が北羽新報に掲載されていた。続きを読む

今日6月5日の北羽新報に柴田裕巳さんの原稿が投稿されたので紹介する
タイトルは
   「風の松原」百年前を旅する
     ー近代測量がはじめてとらえた能代ー
柴田裕巳

今日(5月23日)の北羽新報に「クロマツ2本倒れる」の記事が掲載されていた。続きを読む

今朝の林床改良作業から戻って来たら、北羽新報に「クロマツ2本倒れる」の記事が出ていた。
20日朝の出来事だそうだが、私は20日21日とも陸上競技場脇から林内に入ったので気付かなかった。
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4月23日の市民ボランティア大会の記事が翌日の北羽新報に掲載された。続きを読む

「風の松原に守られる人々の会」総会が4月21日(金)に行われた。その様子が翌日の北羽新報に掲載された。続きを読む

北羽新報(2017.3.26付け)は、「クロマツ植林 難所克服」 「1200本、活着率90%超に」 「コンテナ苗導入が奏功」 の見出しで、大開浜の植林について報じている。続きを読む

北羽新報に 「松くい虫被害木伐採」 「3月までに8613本処理」 の見出しで、米代西部森林管理署が松くい虫の被害木の処理を開始したことが報じられている。続きを読む

ある日FAXが起動した。faxが終わると、まだ印刷も始まらないのにまたベルが鳴った。今度は電話。「今送った記事読んだ?」「マツは凶器となるから全部抜け」と書いてあるよ。続きを読む

国内の代表的な松原を有する自治体が加入する第16回松原友好市町会議(松原サミット)が17日、能代市元町の平安閣で開かれた。続きを読む

平成13年3月26日の北羽新報は、「風の松原 民間ボランティア誕生」 「学習や観察、監視を」 「広範な市民等で守られる会」 等の見出しで新しい団体の設立を伝えている。続きを読む

北羽新報の平成13年3月25日に「風の松原 純林、混交林を適切に」 「地帯を区分し管理」 「一部で試験的取り組みも」 と東北森林管理局の整備の基本方針がまとまったことを報じている。
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北羽新報平成13年2月3日は「保全育成、市民の手で」と報道している。
「能代市の有志 ボランティア団体設立の動き」 「後世へ黒松林継承を」 「広範に参加呼びかけ」等の見出しが出ている。
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平成13年2月3日の北羽新報は、「保全育成、市民の手で」 「能代市の有志 後世へ黒松林継承を」 「広範に参加呼びかけ」 との見出しで、ボランティア団体設立の動きを伝えている。続きを読む

平成12年9月1日の北羽新報は、「風の松原」で標本採取ー国立科学博物館- 「松原が直面する諸課題の基礎資料に」 「林内の植生実態探る」 「地元の自然観察指導員 ボランティアで前面協力」 という見出しで報じている。
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平成11年2月7日の北羽新報に 能代砂丘「埋もれ木」出土でナゾ解明へ という記事が載っていた。
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北羽新報平成12年1月10日の「トピック」特集では、「風の松原」の課題解決を」 「単純林か混合林か」 「21世紀へどう引き継ぐ」 と見出しをたくさん立てている。続きを読む

平成12年1月5日の北羽新報に「松くい虫の被害拡大」の記事が載った。
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平成11年11月9日の北羽新報で 「ついに風の松原で被害<松くい虫>」 という記事が出た。
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緑のシンボル・松原を抱える全国九市町が参加した第7回松原友好市町交流会議(松原サミット)が28日能代市で始まった。続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は7回目(最終回)。続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は6回目。続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日は5回目。続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日はその4回目続きを読む

平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日はその3回目
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平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。
今日はその2回目。

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平成元年(1989)10月の記録だが日付不明なので、仮に10月10日~16日まで7回シリーズとしておこう。続きを読む

昨日1989年10月7日(土)に日本五大松原サミットが開催された。その様子が今日の北羽新報1面を飾っている。続きを読む

日本五大松原フェスティバルの開催に合わせた風の松原の整備が進んだ。
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第3階松原フェスティバルが10月7日、8日の両日行われる。

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この新聞記事にはS63.9or10としか書いていなかった。そこで昭和63年9月1日の記事と仮定した。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその10回目(最終回)。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその9回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその8回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその7回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその6回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその5回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその4回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその3回目。続きを読む

1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。今日はその2
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1987(昭和62)年10月10~11日の能代海岸砂防林フェスティバルで行われた砂防林シンポジウムの様子が10回にわたって北羽新報に連載された。この切り抜きには日付がなかったので、一応10月16日~25日まで連載されたものとして紹介する。続きを読む

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昭和62年8月21日北羽新報は、「市民の会」を設立」 「重要性認識に啓もう活動」 「市民の手で利活用を」 「市民の手で利活用を」という見出しだった。
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まだ「風の松原」という愛称のなかった時代の新聞記事。
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昭和58年7月、鈴木重孝氏の 「大開浜砂防林について」 が2回、北羽新報に掲載されました。続きを読む

砂防林を愛する会から昭和49年4月に「意見広告」が発表された。まだ紙面を確認していないが、その原版コピーを入手したので、月末の日付で掲載する。続きを読む

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