新・風の松原を歩く

PC版では、2017年5月までの「ブログ 風の松原を歩く」も表示したまま、画像を沢山表示できるように、またスマホからも投稿できるようにした。 名前を「新・風の松原を歩く」とした。 「風の松原」は秋田県能代市の海岸砂防林である。

新聞記事

昭和46年6月14日の北羽新報には 「“愛する会”が結成式」 「砂防林の保護、育成に努めよう」 「柳谷能代市長らを招き」 の見出しで記事を書いている。続きを読む

北羽新報昭和46年3月14日号に山木吉長氏の「景林翁の松を伐るな」が掲載されているので、その切り抜きを紹介する。続きを読む

昭和46年2月28日、北羽新報に「砂防林を守る研究集会」の記事が出ている。続きを読む

昭和46年2月13日、北羽新報は山木吉長氏の 「砂防林を守れ -こわい三分の二伐採論-」 を掲載している。
十年ほど前に私が市立図書館でコピーした時に、題字の部分はコピー出来なかった。今回は新聞の閲覧は出来たが、紙面劣化の恐れがあるため昭和50年以前の新聞はコピーさえも出来なかった。「新聞は一度しかコピー出来ない」という規則もあるのだそうだ。続きを読む

昭和46年1月29日の北羽新報に 「再開発構想、市長に答申」 「審議会おわる」 「伐採は最小限に」という見出しの記事が載った。
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昭和46年1月27日の北羽新報で県第三次総合開発計画案を発表している。続きを読む

北羽新報の昭和46年1月13日号は、「基本構想の審議始まる」 「松林切らぬ方向へ」 「一部開放をめぐって論議」 「無視できぬ市民感情」 「海面埋め立て案も検討」などの見出しを立てている。続きを読む

北羽新報の昭和46年1月12日号では再開発構想を検討という記事が掲載されている。続きを読む

昭和46年1月5日の北羽新報に「能代市 今年の課題」という特集で記者座談会が特集されている。見出しは 「どうなる砂防林」 「臨海団地の位置づけ」続きを読む

北羽新報の昭和46年1月1日号に元営林署職員の鈴木重孝氏が「松林の四季」という文章を寄せている。続きを読む

昭和46年1月1日号には写真が4枚掲載されていた。写真の説明は 「うっすらと雪化粧した松林 いまの計画ではこの林も伐採の運命にある」 「松林を見回わる作業員。雨の日も雪の日も欠かさず‥‥」 「昭和五年、稲荷神社西北部の黒松が移動砂丘の前進で破壊された。」 「ひと冬で砂浜の様相が一変する。飛砂を防ぐ垣根が破られることすらある。」
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昭和46年1月1日号に「昭和60年の未来図」-能代市の都市計画-として地図が掲載されている。続きを読む

昭和45年12月14日の北羽新報は 「再開発構想・市民の反響」 「ぜひ計画実現へ」 「産業開発の期待大きく」 「市民サイドの検討を まず科学的な調査・解明を」 「松林解放に強い不安 飛砂、風害の万全な防止を」というたくさんの見出しで報じている。続きを読む

昭和45年12月14日の北羽新報に掲載された砂防林の鳥瞰図続きを読む

昭和45年12月13日の北羽新報には「12月定例議会おわる」 「再開発構想 審議会で検討へ」見出し。続きを読む

昭和45年12月13日の北羽新報に小畑知事の発言が紹介されている。続きを読む

昭和45年12月12日北羽新報に「木材工業再開発構想の概要」が掲載された。続きを読む

昭和45年12月12日の北羽新報は 「再開発構想まとまる」 「きのう小畑知事に答申」 「松林なるべく残せ」の見出しで答申内容を報じている。続きを読む

昭和45年12月12日の北羽新報に「砂防林に科学的究明を」という論説が掲載されています。続きを読む

昭和45年12月3日の北羽新報に 「能代木材工業再開発構想」 「今月中に知事答申」 「浅内寄りに団地化」 の文字が踊った。続きを読む

昭和45年11月13日の北羽新報は 県の第三次総合開発計画の骨子がまとまったことを報じている。続きを読む

昭和45年10月27日の北羽新報に 「総合開発計画近く完成」 「来月中に審議会を」 「六十年めざすビジョン」 の見出しが出ている。続きを読む

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